2015年2月9日月曜日

井上真央の花燃ゆ(2月8日) 吉田寅次郎(伊勢谷友介)野山獄で講義

吉田寅次郎(後の吉田松陰=伊勢谷友介)は、金子重輔を死なせたことは自分のせいだと苦しんでいた。

そんなとき、同じ野山獄の獄囚で高須久子(井川遥)が訪ねてきた。
(この時代のというか、長州藩というか、牢獄と言うのは現代の刑務所とも全然趣が違いますね。
なにしろ、女性の囚人が男性の囚人を訪ねてくるなどありえないし、司獄がたった一人でまあるで友達みたいに接したりすることがあるのは、不思議というか、ありえない。
藩の上級武士ともなると、家を守るためにいろいろ家の中の問題を処理する方法として、このような獄が利用されたという。
例えば、この、高須久子という女性は、高須家にありながら夫がなくなった寂しさから、三味線弾きを家に入れ、不義密通を働いたということで、お家おとりつぶしの危機にあったとき、野山獄に収監することによりお家の危機が回避されたという。
その他の、囚人たちも、元はといえば長州藩の上級武士の家柄であり、その家の体裁と体面のため、世間から避難される行いをした者を獄につないだようだ。
したがって、囚人の世話は基本的に出身の家で行ったようであり、吉田松陰の場合も、家からの差し入れで十分な勉学のゆとりがあったようだ。)

久子が頼むのは、文が寅次郎(伊勢谷友介)のところによく訪ねてくるので、文に、自分の親の遺品を持ってきてくれるよう、高須家を訪ねてほしいというものだった。
文は、高須家に行ったが何度言っても追い返されるので、その旨を久子に話しても「何度でも行ってほしい」と頼まれる。何度か訪ねるうちに、久子の娘らしい女性(糸 川島海荷)に会うことができたが、久子のことを母ではない、関係ないと追い返される。
その旨を、久子に伝えると、今度は「もう一切行かなくていい」という。一体どういうことかわからなくなる文であった。
久子は、文が高須家を訪ねている間は、文から差し入れられた手作りのお手玉を喜んで遊んでいたりしたが、娘にあったという話を聞いてからは、そのお手玉を捨ててしまうのだった。
ある日、突然久子のところへ娘の糸が訪ねてきた。そして行った言葉が「不義密通をした女のために家を潰されそうになった、二度とお祖父様の遺品のことなど、一切関わらないでほしい。私は、あなたを憎みます。」と。
久子は糸が帰ったあと、「私にとって、全てを捨てることが償いだ。大切な物を捨てること、二度と求めてはならないものを求めたり、美しいもの、楽しいことなど、求めてはならない。娘と会い、憎いという言葉を聞いた時に生きて傷つくことも償いではないかと思う。」というのだった。


ある日、寅次郎からの手紙に1枚達筆の手紙が混じっており、その字がかすれていることを知った文は、兄の寅次郎に託して、新しい筆をその手紙の主に送った。
手紙の主は、あの何かと寅次郎に逆らう「富永有隣」(本田博太郎)出会った。富永は、文の心に痛く打たれ、その後、寅次郎に対し打って変わったように接するようになった。
寅次郎は、富永の書の腕を賞賛し、獄舎の囚人たちに共に書を富永から学ぼうと言い出す。
これに賛同するもの多くあり、それを機に寅次郎の講義を聞く場が野山獄内に出来上がった。

長州藩では、御前会議が開かれ小田村伊之助(大沢たかお)を明倫館の師範にさせることを決めた。伊之助は、野山獄に寅次郎を訪ねるが、寅次郎は自分にかかわらないで伊之助自身で思うとおりやれと伊之助を帰す。
伊之助は文に言う。「俺にはやることがある、そのことをきちんと寅次郎に言えるまでは、合わん」と。




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