2015年4月5日日曜日

花燃ゆ(4月5日)

井伊直弼がいよいよ通商条約に反対し不穏な動きを一掃するために、安政の大獄を開始した。

京都において、松下村塾の赤嶺らも逮捕されたという知らせが、萩の文の元へも届いた。

次々と国を憂う志士たちが逮捕されていると聞いて、吉田寅次郎は嘆く。

「幕府はこの国を滅ぼすつもりか」と、寅次郎は何度も建白書という意見書を長州藩主に出す。

しかし、その意見は家老のところで握りつぶされた。


京都で文の夫である久坂も逮捕されたと聞いて心配していた文のもとへ、江戸から入江九一が帰ってきて「久坂は生きている」と伝えられる。

一方、吉田寅次郎「松蔭」は、なんとか情勢を変えようと井伊直弼の暗殺の前に老中眞鍋の暗殺をすべく、塾生と秘密の相談をし、血判状を作成して長州藩に訴えることにした。

現代で言えば、過激集団、いわゆるテロ集団と言っても良い。
時代というのは、何が正しい価値なのか、時代の変遷によって変わるものである。

しかし、藩ではこのことが大問題、お家取り潰しにもなりかねない大問題として吉田松陰らの処分に発展した。

吉田松陰の父は、自分を殺してから松蔭の志を果たせと松蔭を諌めるが、松蔭は最後までその意を曲げなかった

吉田稔麿は役を解かれ、吉田松陰は再び野山獄へ繋がれることになった。
吉田松陰を野山獄へ入れるよう提言したのはほかならぬ伊之助(大沢たかお)であった。
かれは、吉田松陰の命をすくうためには、それしかないと思っていたのだ。

ついに松下村塾も廃止されることになった。
だが、文はなんとか松下村塾を守ろうと決心しているようだ。


0 件のコメント:

コメントを投稿