2015年2月1日日曜日

井上真央の花燃ゆ 吉田虎之助(伊勢谷友介)野山獄に繋がれる(2月1日)

ペルーの船に密航しようとした寅次郎と金子重輔は、自ら密航したことを幕府に告げ、捕縛された。
そして、長州藩に送られ、長州藩の裁量に任された形で、野山獄に繋がれた。 

金子重輔の方は、身分が違うということで岩倉獄に繋がれた。寅次郎は個室であり、重輔は雑居牢となった。

牢に繋がれた寅次郎は、同じ牢にいる囚人に大声で「吉田寅次郎と申す、お見知り置きを」と挨拶をする。
そして、金子に会わせてくれと叫ぶも無視をされる。


文は、何とかして兄の力になろうとしていた。
寅次郎は、杉家に本の指し入れや着物の差し入れを頼んできた。
食事や差し入れ物はすべて杉家の負担であった。
 しかし、差し入れ時も寅次郎と会うことはできなかった。

ある日、文が野山獄を訪ねると、門前に一人の夫人が一目息子に合わせてほしいと懇願していたのを目撃する。
その婦人は、金子重輔の母であった。が、追い返されてしまった。
 声をかけると、「名告らなくて良い、私は、ここにいる罪人の母です。」という。

寅次郎から依頼された差し入れの中に、ひとつ揃わなかったものは、「海国図志」のみであった。 文は、それを江戸にいる小田村伊之助に手紙を送って頼むことにした。 

寅次郎が牢獄にいた2ヶ月で100冊以上の本を読んだと言われる。 

文は、また、金子重輔の母と会った。
重輔は病らしく、母親は焦っていた。
文は、母親に声をかけ一緒に握り飯を食べましょうと誘う。
母親の指先は、藍色に染まっていた。
聞けば、金子家は染物屋であるという。
そして、重輔はよく手伝ってくれる働き者だったが、いつからかもっと学問がしたい、武士になりたいと言い出して、江戸に行ってしまった。
もしあの時に重輔を止めていればこんな事にはならなかったと悔やむ母親だった。

ある日文は母親の滝に聞く。 「母上は、兄や私が牢獄に繋がれても待っていてくれますかと。」
「あなたが、どんな女と言われても、どんなことを言われても、母は、あなたを待ってますよ。おかえりなさいと言って待っています。」と。


江戸では、小田村伊之助が桂小五郎と会っている。
そこで、文から頼まれた「海国図志」が手に入った。
その時、阿部家を名乗る武士たちから、寅次郎の密航の大義について口論となり、伊之助が脅迫を受けたが、桂小五郎はあっという間に3人の武士を倒し、二人で逃げた。
桂小五郎はかなりの剣の使い手であった。


ある日、重輔の母親はついに牢に入れてもらい、息子と会うことを許された。
なぜなら、重輔は病が重篤で、看病のために呼ばれたのだった。
母は言う。「ここから逃げよう、そして静かに暮らそう」と。

しかし、金子重輔は言う。「わしは逃げん、先生が言った。密航が失敗して幕府に自訴した時、(我らは、逃げも隠れもせん、罪を恐れて隠れるものは長州武士には一人もいない。)と。
わしも、長州武士でござる。」 といって、拒否をするのだった。

金子は、ボタンを持っていた。
アメリカ船に乗り込んで揉み合いになった時、もぎ取ったボタンであった。
重輔はそれを宝として大事にしていた。
寅次郎が言った言葉が金子重輔の生きる証となっていたのだ。
 「重輔がいなかったら、この渡航は計画もできなかった、お前がいたからこれができた。その証としてこのボタンはしっかりと持っておれ」と。

 「だから、これは、おれの宝なんだ」と母親に言う。
母親は言う。「お前をこんな風にしたのは、一体誰なんだ!」と。

一方、野山獄では、寅次郎が富永有隣に会う。
そして明倫館の秀才だと言われる富永に教えを請うのだが、「こんな牢の中で何を叫んでもなんにもならん、覚悟や人間の真髄を言うのならば、ただ、生きろ、そして、腐れ、そして呪え」と。

 「お前の学問など一体何になるんだ、友一人の命も救えないではないか」という。

寅次郎は、反発する。「人は善だ」と。 しかし、富永は「人は悪だ!」という。
寅次郎は叫ぶ、「誰か、金子重輔に食べ物をやってくれ!!」と。













江戸では、伊之助と桂小五郎は薩摩藩の西郷吉之助に初めて会うことになったが、この頃はまだ薩摩と長州は考え方に大きな開きが会った。









江戸城では井伊直弼が茶を入れていた。
 「吉田寅次郎というのは野山獄にいるようだが、外国の事情に詳しく、そこから学ぼうとする意欲的な男だ。牢獄で朽ち果てるのはもったいないものだ。」とつぶやいている。







杉家では寿が来ていた。 文が、金子に会いに行きたいというと、寿は「ボロボロになった人にあっても喜ばれない」という。
しかし、母は、「その人が悲しかったり嬉しかったりしたことを寅次郎に伝えたいかも知れない、それができるのは文だけ」と励まされる。 


金子の会うために牢に向かう文。向こうから車を引いた重輔の母がやって来る。
荷車の上には重輔の躯(むくろ)が乗せられていた。
文は、金子の母にお願いする。「ボタンを私にあずけてください。
それを兄に届けて、金子重輔の思いを伝えたい」と。
母親は言います。「あれは、捨ててしまいました。ここにいるのは染物屋の息子です。」といって、立ち去るのだった。


 それから文は野山獄に特別に入ることができた。
そして、兄、寅次郎に会って「なぜ、親が切腹までしようとし、兄が、職を追われるまでのことがわかっていながら、なぜ、渡航という国禁を犯したのか?」と。 

「海の向こうに新しい国造りの光が見えたからだ」と答える。 

金子が最後まで兄ともう一度海を渡りたいと言っていたことや、宝としてボタンを最後まで握りしめていたことを話して、野山獄を去る。
獄から兄の泣き叫ぶ声が聞こえる。 

帰り道、母が迎えに来ていた。
「おかえり」 母の胸に飛び込んでなく文であった。
「せわない」と母。 


翌日井戸端に紙にくるんでボタンがあった。
金子の母親がと思い、道を追いかける。
遠くで母親がお辞儀をしている。
どんな思いでボタンを届けてくれたのであろうか。
「金子重輔の思いをきっと伝えます。」と心に決める文であった。 


あるとき、野山獄の寅次郎のところへ、同じ囚人の女性が訪ねてきた。
「お願いがあります。
高須久子と申します。」と。

 (次週へ)























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