2015年4月13日月曜日

吉田松蔭はなぜ「吉田」なのか?

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」で注目されるのが吉田松陰です。
このひとは、一般的に幕末期の天才的な学者として知られていますが、実は元々吉田姓ではなかったのです。

吉田松陰は、長州藩の下級武士杉百合之介と滝夫婦の次男として生まれました。
そこで最初は杉寅之助と言う名前でした。
5歳の時に、杉百合之介の弟である大助(杉家よりも格上の長州藩山鹿流兵学師範の吉田家の養子となる)の養子となって、姓も吉田となったのです。

その後、大次郎、寅次郎と名前を改め、後に松蔭と名乗りました。

父である百合之介には大助の他に文之進という弟がいて、文之進もまた杉家よりも格上の玉木家に養子に入り玉木文之進と名乗りました。

百合之介、大助、文之進は非常に頭がよく勉学好きの兄弟でした。そのため、大助も、文之進も格上の家の養子に請われたのです。

松蔭は、父と叔父二人に厳しく勉学を仕込まれました。また、吉田家は兵学師範の家柄であったため幼少の時から兵学を学び、11歳の時には長州藩主毛利敬親の前で兵学の講義を行ったと言いますから驚きです。

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