2015年8月11日火曜日

花燃ゆ 小田村伊之助(大沢たかお)の命は風前の灯

花燃ゆ 小田村伊之助(大沢たかお)の命は風前の灯


8月2日日曜日の「花燃ゆ」は、小田村伊之助が野山獄に繋がれて、処刑
される寸前であった。

お城の奥に上がっていた文は、伊之助の妻、寿の必死の頼みもあり、何
とか助けようと、保守派俗論派の椋梨(むくなし)に懇願するのだが、
聞き入れられず、伊之助の兄「松嶋剛蔵」も斬首となった今、伊之助の
命は風前の灯であった。

そのころ、高杉晋作は長州藩の探索の目をかいくぐり福岡まで逃げ延び
ていた。必死に吉田松陰とその仲間の意思を継ぎ、新しい日本を作ると
いう強い意志で、ついに解散寸前の騎兵隊を立て直し、挙兵した。

これにより長州藩の俗論派の勢力が衰え、伊之助はスンデのところで野
山獄から釈放された。

その後、小田村伊之助(素太郎と名前をあらためていた)は、藩の命に
より大宰府に渡り三条実美ら尊攘派との連絡係として活躍、しかも、坂
本龍馬が薩長同盟の画策にやってきた時に、坂本の頼みを受け桂小五郎
と坂本を引きあわせた。

慶応2年に第2次長州征伐があり、小田村は幕府軍に捉えられ投獄される。
開戦後6月に釈放され、長州藩の中でさらに毛利敬親の信任を得て奥番
頭になった。

さらに敬親からは改名を命じられて「楫取素彦(かとりもとひこ)」と
なった。

その後大政奉還、明治新政府となるが、新政府では「群馬県令」となっ
た。

明治14年妻・寿が病死、明治16年文と結婚した。
文は、初恋の人とここで結ばれた。文41歳、素彦55歳であった。


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