2017年7月28日金曜日

解散総選挙大接近!!

7月27日民進党蓮舫代表が辞任を表明したことを受けて、自民党内でにわかに解散の空気が流れ始めました。

この理由として、自民党安倍内閣は、もりかけ問題、自衛隊日報問題、都議選惨敗、支持率急下落という中で、今、民進党が党首交代で混乱し、組織が弱体化している今、解散総選挙に打って出るべきだという意見が強まっているといいます。

たしかに、このままもりかけ問題を引きずって、ますます、政府の失態を晒す前に、解散することで、うるさい追求から目をそらすことができること、民進党が立ち直って、小池知事率いる都民ファーストの会などと共闘されるなどしたら、自民党は勝ち目がない。まだ、民進党が都民ファーストと一緒になる前だと、総選挙で勝てる可能性はある、と判断している様子です。

どちらにせよ、解散するなら早くやってもらって、選挙で信を問うのがよろしいかと思いますよ。



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2017年7月2日日曜日

豊田真由子衆議院議員のパワハラで元秘書は禿(ハゲ)になった

2017年6月22日、なんと国会議員である豊田真由子議員が元秘書に暴行と暴言、罵声を浴びせたということが公表され、多くの国民が驚いています。


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真由子議員については、顔の特に眉毛と眉間の関係が人相学から見て非常に怒りっぽくヒステリックな性格の持ち主であると指摘されています。


その真由子議員が元秘書が運転する車の後部座席に乗り、元秘書の頭を小突いたり、「ハゲ」などと罵声を浴びせている様子が、音声で発表されました。


その内容は次のとおりですが、55歳にもなる男が、42歳の若い女性に頭を殴られるなんて屈辱以外の何物でもありません。


筆者なら車を降りてその女性をひっぱたいてやるのですが(これは言い過ぎ]、なんと元秘書は我慢に我慢を重ねてきたのでしょうね。やっと、この場面を音声録音し、覚悟を持って公表したのです。

録音内容は次のようです。
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豊田;違うだろー!!違うだろ!!

元秘書;すいません、運転中でもあるので…もうすいません、叩くのは…申し訳ないです。

豊田;お前はどれだけ、私の心を叩いてる?

元秘書;はい…あの…

豊田;お前はどれだけ、私の心を叩いてる?!

元秘書;はい、その痛みはもう…

豊田;分かってないよ!!

元秘書;いや、叩くのは、すいません…

豊田;これ以上、私の評判を下げるな!!私の心を傷つけるな!これ以上私の支持者を怒らせるな!

お前が叩かれるより、よっぽど痛いよ!

豊田;バカかお前は!

元秘書;はい、…すいません。

豊田;は~どうぞわたしも叩いてちょうだい!その代わり、もう私の心をこれ以上痛めつけるのはやめてくれ!私の支持者をこれ以上怒らせるのはやめてくれ!

叩かれるほうがよっぽど楽だよ!!

頼むから私の評判を下げるな!!頼むから恥をかかせるな!!
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と言うものです。

元秘書のミスは、事務所から有権者あてに送るはずだったバースデーカードの住所と名前に間違いがあったというもので、これを豊田議員は厳しく指摘している内容なのです。


豊田議員は元秘書に対し「鉄パイプでお前の頭を砕いてやろうか!」とか「お前の娘にも危害が及ぶ」とも言われたそうです。しかも、この間3回ぐらい殴られたと言っています。


何しろ、議員と秘書とは言え自分より13歳も年上の男性に向かって「おまえ」は無いでしょう!ふつう。
これにわずか2ヶ月間とは言え我慢してきたのは大変な精神的苦痛であり、頭が禿げるのは無理もないとさえ思います。


まさに、元秘書のハゲの原因は豊田議員の暴言にあるのではないでしょうか?





2017年6月30日金曜日

大野智主演「忍びの国」ネタバレと解説



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すでに映画化決まっていて主演は大野智である。
痛快無比の人情ものとして前評判が高い。

物語を、簡単に紹介してみたい。
和田竜の小説「忍びの国」では、次のように始まっている。

戦国期、天正4年(1576年)のことだ。 [中略]
伊勢国(現在の三重県の大部分)の南部に三瀬谷と呼ばれる集落があった。[中略]
朝霧が立ち込めるその三瀬谷に、4騎の騎馬武者が姿を現した。
.
この物語は、戦国時代。
ちょうど織田信長が頭角を現し、勢力を広げようとしていた時の話である。

天正4年(1576年)伊勢国南部の三瀬谷(みせだに)ではじまった。

伊勢国とは現在の三重県である。
まず、4人の騎馬武者が朝霧の中から登場してくる。

それは、織田信長の次男、北畠信雄とその家臣の日置大膳(へきだいぜん)、長野左京亮、柘植三郎左衛門である。

北畠信雄(のぶかつ)とは、織田信長の政略によって北畠具教(とものり)の六女「凜」(りん)を妻として北畠家の養子に入った。

その4人が、凜の父親である北畠具教を暗殺しようと繰り出してきたのである。

この暗殺計画はもとより織田信長の命によるもので、信長は具教の支配地である三瀬谷を攻略し伊勢国を支配するためである。

長野左京亮と大膳は、元はといえば北畠家の重臣であり、かっては、信長軍と戦い、おおいに信長軍を翻弄したものたちであったが、今は信雄に従って、元の主人である具教の暗殺に加わっているのである。

戦国の時代というのは、食うか食われるか、弱肉強食の時代であり、いかに強い主君の下に仕えるかが、戦国武将の習わしであった。


特に、三郎左衛門には、個人的な恨みがあった。それは、基教に人質として差し出していた九歳の娘と妻を信長への寝返りを手引きしたことで殺されてしまったからだ。


信雄の妻の凜は、この暗殺計画を察知し、いち早く父の元へ知らせ「逃げるよう」促した。

しかし、具教はせせら笑っただけで逃げようとはしなかった。ただ一人迎え撃つ覚悟があったようである。

それは、基教があの有名な剣豪塚原卜伝から、新当流の奥義を極めた剣の達人であり、暗殺者を返り討ちに出来るという、おごりがあったのではないか。


この剣豪具教を打ち取ることは容易ではない。大膳も左京亮も剣を取らせては大のつく強者であり、三郎左衛門も伊賀忍びの強者である。


4人は凄じい闘いの末、やっとのことで具教を仕留めた。


なんと、そこに、信長が現われる。

信雄の妻である凜は、父を殺した敵として、夫信雄を刺そうと打ちかかってきた。


慌てふためいたのは信雄だ。逃げ惑う信雄の姿を見て、信長は「人ぬる山め」と称し爆笑した。


さて、この暗殺劇の成り行きを一部始終物陰に隠れてみていた男がいるのだ。


この手練揃いの忍者がいる中で、誰に気づかれずに覗き見するとは、これも、大した忍者に違いないのだ。

なんと、これがあの天下の大泥棒、豊臣秀吉によって釜茹での刑に晒された石川五右衛門なのである。

今は文吾と名乗っている伊賀の忍びにすぎないのだが。


信長が伊勢国を制圧したことで伊賀の国にも驚愕が広がったのだが、どういうわけか信長は伊賀を一気に責め滅ぼそうとはしなかった。


彼は、伊賀攻めをためらっていたのだ。


それは、忍び軍団である伊賀の尋常ならざる強さを察知していたからだ。


伊賀国は、信長に隣国の伊勢が攻略されるまでは、66人の地侍による乱立で、常に争いの絶えない小国であった。


伊賀国は、四方を山々に囲まれた上野盆地を中心とする一帯であり、東で国境を接する伊勢国に対しては、鈴鹿山脈から布引山地に至る南北に連なる山々が衝立(ついたて)のごとき役割を果している。

また、伊賀国の領域は「東西に35km、南北に40km面積は約1400キロ平方エートルであったようだ。
しかも石高は10万国程度。


決して裕福ではない中で66人もの地侍が乱立、いつ争いが起きても不思議ではなく事実毎日のように闘いがあったと言う。


そのため、地侍たちはそれぞれの領域を守るため数多くの城館を築造していた。
なんと、その数868箇所と言うから、この異常な数の城館を維持するだけでも大変なことがわかる。


このような事情から、伊賀は地侍の下で小作人を努め、同時に忍術を極めて、他国に備え、金のためにいつでも命を投げ出して、その術を用いると言い、金のためなら(すなわち自らの命のためなら、父母兄弟の縁にかかわらず、敵味方として殺し合うことが常識とされていたと言う。

さて、伊勢国が信長に制圧されるまで小国内で闘いを続けてきた伊賀の66人の地侍は、にわかに結束して立ち上がることになった。


この頂点にたち、伊賀66人の手綱を握るのが、なんと、あの九字を切ってドロンと消えてしまうことで有名な百地三太夫なのだ。


この百地三太夫。にても焼いても食える爺ではない。


忍びに人の心などない、情けなんかは無用なのだ。親子の関係も兄弟も友人も、更には主従の関係すら無いのだ


それが忍者の世界。


義理も人情もない。殺戮、討伐、人を騙し、出し抜くことで自分が助かる、それを至上とするのが忍者の掟なのだ。


そこに君臨する百地三太夫とは、一体どんな爺なのだ。


この、百地三太夫が織田信長軍にどう立ち向かうのか。
どんな秘策が出てくるのか?


まともにぶつかり合ってはかなわないことを熟知している忍びたちの、腕によりをかけた前代未聞の祖国防術戦とは、一体どんな展開になるのであろうか?


この物語の面白さは、ここにあるのだ。
いわゆる、どんな手を使ってもいいから勝ってみろという世界なのだ。


登場人物は、前述4人と百地三太夫、織田信長、下山甲斐、下山平兵衛、無門、お国、そして石川五右衛門の文吾である。


それぞれのキャラクターの個性が突出して最高の面白さを提供している。



ここで、百地三太夫の秘蔵の忍者、無門。
無門は、「その腕絶人の域」と評され、この物語屈指のキャラである。



それこそど肝を抜く技で相手を煙に巻き、超絶技を駆使して縦横無尽に飛び廻る、忍者としても超一流の業師なのだ。


ところが物語の中では超怠け者、金にしか心を動かさないのかと思えば、西国から女をさらってきたりする。


その名を「お国」
彼もこのお国の前ではからきしだらしがない。
このことが、物語をぐんと面白くしているのだ。


予断を許さないこの男は、とにかく目を話すことが出来ない。
信長の前に厳重な警戒をかいくぐって造作もなく現れる。


これには信長も舌を巻く、と言うか心胆寒からしめるものがある。


信長にとってはなんとか味方に引き入れたい男なのだ。なぜなら、敵に回したらおちおち眠っていられないのだ。


 「滅びたな、忍びの国も」
 「いや、違う」
 「斯様なことでこの者たちの息の根は止められぬ。虎狼の族(やから)は天下に散ったのだ」


この言葉は物語の後半になって、左京亮と大膳が交わした言葉である。


「虎狼の族(やから)」の血は、いずれ天下を覆い尽くすこととなるだろう。我らが子そして孫、更にその孫の何処かでその血は再び入ってくるに違いない」
自らの欲望のみに生き、他人の感情など歯牙にもかけぬ人でなしの血は、いずれ、この天下の隅々にまで浸透する。


と、日置大膳はつぶやいた。


和田竜作「忍びの国」は、新潮文庫から平成23年に刊行された物語である。
590円(税別)

2017年大野智が主演で映画化されている。

2017年6月8日木曜日

ミヤンマー軍用機墜落か?アンダマン海とは?

2017年6月7日、ミヤンマーの軍用機が、南部ミエイを出発しダウエイ上空を通過して、約32キロ西方に離れたアンダマン海上空で消息を絶ったといいます。










果たして海上に墜落したのでしょうか。


もしそれが事実なら、おそらく搭乗者104名の生命は助からないでしょう。










痛ましいことです。









この軍用機は、Y8F200型輸送機で兵員の輸送や武器や資材の輸送に使われていると思われますが、この日は、軍人と家族ら90人と乗員14名の104人が乗っていたといいますが、飛行目的はよくわかりません。















その後、「海上で墜落した飛行機の残骸を見た」との情報がありましたが、当局は否定しています。




したがって、今のところ見つかっておらず、引き続き、行軍の航空機2機と4隻の船舶で捜索活動をしているといいます。


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墜落したとみられるアンダマン海

アンダマン海002.jpg
アンダマン海.jpg



ミヤンマーのアンダマン海は、風光明媚なことで知られています。

周辺の島々や海岸にはリゾート地が建設され、マリンスポーツも非常に盛んです。



このような美しい海で、今回悲劇が起こりました。

軍用機を始め航空機の事故は、発生すると搭乗者の命はほとんど助かりません。



それだけに、天候に最大限注意をはらい、整備点検は念入りにかつ機長などのクルーの健康状態精神状態に、最大限の注意を払って運行します。



この度の事故は、天候が良かったといいます。

あと、残された原因といえば、思わぬ機体のトラブルか。あるいは操縦ミスなのか?



天候が良くても、鳥の大群と衝突して墜落するというハプニングも有りましたし、

考えたくもありませんが、各国で起こっているテロ事件のように、誰かが人為的に何かを仕掛けたものなのか?



原因究明までは様々な憶測を呼ぶと思いますが、一日も早い事故機の発見と生存者の発見に努めていただきたいと思います。



もし、墜落が事実なら、搭乗者とその家族の方々へ、心からのお悔やみと冥福をお祈りしたいと思います。



2017年4月27日木曜日

47日間もヒマラヤで生存できたのはなぜ?

ヒマラヤでトレッキングしていた男女が行方不明になって、47日後に救出されたというニュースが、2017年4月27日報道されて驚きました。





一体あの寒いヒマラヤ山脈の中で、どうやって生きていたんだろう。
と思いました。


やはりいっしょに行った女性の方(19歳)は、3日前になくなっていたそうで、可哀そうで仕方がない。


なんでもっと早く救出できなかったんだろうと悔しさがこみ上げます。


救出された男性は21歳、やはりふたりとも若かったので、なんとか体力が持ったんですね。今ではひとりだけでも助かって、奇跡のようで、良かったと思っています。


助かった男性は、梁聖岳さんで台湾の方で、いっしょに行った恋人の女性は。劉宸君さんということです。


梁さんと劉さんは台湾の国立東華大学の1年生。2月にインド経由でネパールに到着し、その後、先月9日にダディン郡で、豪雪にも関わらずヒマラヤ山脈にトレッキングに出かけたといいます。


それを最後に消息が途絶え、家族から5に後に捜索願が出されましたが、豪雪と雪崩で、捜索活動が困難だったといいます。


二人は山歩きの最中に路から足を踏み外し、渓谷に転落。とくに怪我がなくて近くの岩の洞窟で過ごし、雪と塩だけで餓えをしのいできたそうです。


しかし、流石に47日間ともなると、体力は衰え、男性は30kg以上体重を減らしたと言いますし、ミミズに食われたり、足にはウジが湧いたといいます。女性はついに体力を消耗しきって死亡し、遺体となって発見されたといいます。


男性が治療のため入った病院は、カトマンズのグランデ国際病院ということで、今は危険な状態を脱したということです。





ヒマラヤで山歩き中に行方不明 47日後に救出BBC News 4/27(木) 14:50配信ネパールのヒマラヤ山脈でトレッキング中に遭難し行方不明になった台湾出身の21歳男性が26日、47日後に救出された。同行していた恋人の19歳女性は、遺体で発見された。
遭難した2人を最初に発見したのは地元住民で、午前11時に通報を受けてヘリコプターが現場に急行した。捜索隊は、ネパール・ダディン郡ティプリン村近くにある標高約2000メートルの渓谷で、梁聖岳さんを発見。恋人の劉宸君さんは近くですでに死亡していた。
梁さんはカトマンズのグランデ国際病院で治療中で、危険な状態は脱出したという。
病院のサンジャヤ・カーキ医師はBBCネパールに対して、「ゆっくりなら会話ができるようになった。恋人は3日前に亡くなったと話している。重傷は負っていないが、ミミズに食われた傷がある」と話した。
梁さんは出発前に比べて体重を30キロ失った。医師たちは、もっぱら水と塩だけで生き延びたようだとみている。救出時、頭髪はシラミだらけで、片足にはウジが湧いていたという。
梁さんと劉さんは台湾の国立東華大学の1年生。2月にインド経由でネパールに到着した。先月9日にダディン郡で、豪雪にも関わらずトレッキングに出かけたのを最後に、消息を絶っていた。
トレッキングの行方不明者情報を扱うサイトMissingtrekker.comによると、2人はトレッキングに出かける前に荷物をなくしたり、「ささいなこと」で口論したりしていたという。
劉さんはフェイスブックに、「こんなとこ来なければ良かった」と書いていたという。
2人はランタン村にいる台湾人の友人を訪ねに行ったとみられている。
2人が打ち合わせ通り先月10日に家族に連絡しなかったことから、2人の安否を心配した家族が、5日後に捜索願を出した。
現地警察はガイド3人とヘリコプターを使って捜索。台北タイムズによると、ヒマラヤのガイドや地元メディアも2人が行方不明だと知らされていたが、降雪と断続的な雪崩のため大がかりな捜索は困難だった。
捜索に協力していたマドハフ・バスネト氏はBBCに対して、2人は「ダディンからガトラン村へ下っている途中、滑りやすい山道から滑落したようだ」と話した。
「滑り落ちて、洞窟のような形状の岩の中に閉じ込められ、自力で上って戻ることができなかったみたいだ」
(英語記事 Missing Taiwanese trekker found in Himalayas after 47 days)

2017年4月26日水曜日

二階俊博自民党幹事長がマスコミに敵意むき出し

二階俊博自民党幹事長が、「東北で良かった」と東北を馬鹿にした発言をした今村雅弘・前復興相を4月26日の東京都内の講演で、庇い立てをしました。



このような偉い人たちは、どうして国民の気持ちがわからないのだろうか。

朝日新聞によると、次のように書かれています。

東日本大震災をめぐり「東北で良かった」などとした今村氏の発言は25日夜、報道陣が入った二階派のパーティーで出た。二階氏は「政治家の話をマスコミが余すところなく記録をとって、一行悪いところがあったら『すぐ首を取れ』と。何ちゅうことか。それの方(マスコミ)の首、取った方がいいぐらい。そんな人は初めから排除して、入れないようにしなきゃダメ」と述べ、報道陣の取り上げ方の問題だとの見方を示した。


問題発言は、マスコミを排除する姿勢です。

「そんな人は初めから排除して、入れないようにしなきゃダメ」

天下の自民党の幹事長、国会で圧倒的多数を擁し、政治をほしいままにできる絶大な権力を持っておられる人が、こんなことを言ってはいけません。

こんなことを言われたら、気の小さい国民は首をすくめて「くわばら」ですよ。
自民党は恐怖政治を進めるつもりなんでしょうか?

恐ろしいことになりましたね。
そういえば、「共謀罪」が大きな問題になっていますが、これも無理やり数の横暴で通すつもりなんでしょうか?

新聞記者が、3人相談して自民党の議員の問題発言を記事にしようものなら、昔あった「レッドパージ」のように、新聞社をやめさせるように圧力がかかるかもしれません。

何やら恐ろしくなってきました。

2017年4月25日火曜日

今村復興相辞任当然!「東北でよかった!」とは何たる侮辱

ばかにするのもいいかげんにしろ!!と言いたい。
これが自民党の体質か。




人を思いやる気持ちのひとかけらもないのではないのか。
自分さえ良ければいい


そんな自己中心的な考えがはっきりと見える発言であり、国民の代表と言えない。
ましてや、「復興相」ですよ。


もっとも被害者たちを助け、その気持を思いやり、寄り添っていかなければならない立場ではないですか?


呆れてしまって開いた口がふさがりませんね。


怒り!!怒り!!

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参考記事
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復興相不適切発言 今村雅弘復興相辞任へ 震災「東北で良かった」発言で更迭

産経新聞 4/25(火) 20:43配信


 今村雅弘復興相は25日、辞任する意向を固めた。東日本大震災に関し「東北で良かった」と発言した責任を取った。今村氏は失言が相次ぎ、被災者らが反発する事態を重く見た安倍晋三首相による事実上の更迭で、後任の人選を急ぐ。後任の復興相は早ければ26日にも皇居で認証式を行う。
 昨年8月に発足した第3次安倍再改造内閣で閣僚が辞任するのは初めて。平成24年発足の第2次安倍内閣以降では、昨年1月の甘利明前経済再生担当相以来、今村氏で5人目。
 今村氏は25日、所属する自民党二階派のパーティーで講演し、東日本大震災の被害に関し「まだ東北で、あっちの方だったから良かった。首都圏に近かったりすると、莫大(ばくだい)な、甚大な額になった」と述べた。
 今村氏は講演後、記者団に「私の大変不適切な発言で皆さんを大変傷つけたことを深く反省し、おわび申し上げる」と語った。
 パーティーに出席した首相は「東北の方々を傷つける極めて不適切な発言だ。首相としておわびをさせていただきたい」と不快感を示していた。
 今村氏は4日の記者会見で、東京電力福島第1原発事故に伴う自主避難者の帰還について「自己責任」との認識を示し、謝罪、撤回したばかりだった。
 今村氏の発言に対しては、野党だけでなく公明党も辞任を求めた。政府は今村氏を続投させた場合、国会審議が停滞し、共謀罪の構成要件を厳格化した「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案などの成立が危ういと判断した。