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すでに映画化決まっていて主演は大野智である。
痛快無比の人情ものとして前評判が高い。
物語を、簡単に紹介してみたい。
和田竜の小説「忍びの国」では、次のように始まっている。
戦国期、天正4年(1576年)のことだ。 [中略]
伊勢国(現在の三重県の大部分)の南部に三瀬谷と呼ばれる集落があった。[中略]
朝霧が立ち込めるその三瀬谷に、4騎の騎馬武者が姿を現した。
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この物語は、戦国時代。
ちょうど織田信長が頭角を現し、勢力を広げようとしていた時の話である。
天正4年(1576年)伊勢国南部の三瀬谷(みせだに)ではじまった。
伊勢国とは現在の三重県である。
まず、4人の騎馬武者が朝霧の中から登場してくる。
それは、織田信長の次男、北畠信雄とその家臣の日置大膳(へきだいぜん)、長野左京亮、柘植三郎左衛門である。
北畠信雄(のぶかつ)とは、織田信長の政略によって北畠具教(とものり)の六女「凜」(りん)を妻として北畠家の養子に入った。
その4人が、凜の父親である北畠具教を暗殺しようと繰り出してきたのである。
この暗殺計画はもとより織田信長の命によるもので、信長は具教の支配地である三瀬谷を攻略し伊勢国を支配するためである。
長野左京亮と大膳は、元はといえば北畠家の重臣であり、かっては、信長軍と戦い、おおいに信長軍を翻弄したものたちであったが、今は信雄に従って、元の主人である具教の暗殺に加わっているのである。
戦国の時代というのは、食うか食われるか、弱肉強食の時代であり、いかに強い主君の下に仕えるかが、戦国武将の習わしであった。
特に、三郎左衛門には、個人的な恨みがあった。それは、基教に人質として差し出していた九歳の娘と妻を信長への寝返りを手引きしたことで殺されてしまったからだ。
信雄の妻の凜は、この暗殺計画を察知し、いち早く父の元へ知らせ「逃げるよう」促した。
しかし、具教はせせら笑っただけで逃げようとはしなかった。ただ一人迎え撃つ覚悟があったようである。
それは、基教があの有名な剣豪塚原卜伝から、新当流の奥義を極めた剣の達人であり、暗殺者を返り討ちに出来るという、おごりがあったのではないか。
この剣豪具教を打ち取ることは容易ではない。大膳も左京亮も剣を取らせては大のつく強者であり、三郎左衛門も伊賀忍びの強者である。
4人は凄じい闘いの末、やっとのことで具教を仕留めた。
なんと、そこに、信長が現われる。
信雄の妻である凜は、父を殺した敵として、夫信雄を刺そうと打ちかかってきた。
慌てふためいたのは信雄だ。逃げ惑う信雄の姿を見て、信長は「人ぬる山め」と称し爆笑した。
さて、この暗殺劇の成り行きを一部始終物陰に隠れてみていた男がいるのだ。
この手練揃いの忍者がいる中で、誰に気づかれずに覗き見するとは、これも、大した忍者に違いないのだ。
なんと、これがあの天下の大泥棒、豊臣秀吉によって釜茹での刑に晒された石川五右衛門なのである。
今は文吾と名乗っている伊賀の忍びにすぎないのだが。
信長が伊勢国を制圧したことで伊賀の国にも驚愕が広がったのだが、どういうわけか信長は伊賀を一気に責め滅ぼそうとはしなかった。
彼は、伊賀攻めをためらっていたのだ。
それは、忍び軍団である伊賀の尋常ならざる強さを察知していたからだ。
伊賀国は、信長に隣国の伊勢が攻略されるまでは、66人の地侍による乱立で、常に争いの絶えない小国であった。
伊賀国は、四方を山々に囲まれた上野盆地を中心とする一帯であり、東で国境を接する伊勢国に対しては、鈴鹿山脈から布引山地に至る南北に連なる山々が衝立(ついたて)のごとき役割を果している。
また、伊賀国の領域は「東西に35km、南北に40km面積は約1400キロ平方エートルであったようだ。
しかも石高は10万国程度。
決して裕福ではない中で66人もの地侍が乱立、いつ争いが起きても不思議ではなく事実毎日のように闘いがあったと言う。
そのため、地侍たちはそれぞれの領域を守るため数多くの城館を築造していた。
なんと、その数868箇所と言うから、この異常な数の城館を維持するだけでも大変なことがわかる。
このような事情から、伊賀は地侍の下で小作人を努め、同時に忍術を極めて、他国に備え、金のためにいつでも命を投げ出して、その術を用いると言い、金のためなら(すなわち自らの命のためなら、父母兄弟の縁にかかわらず、敵味方として殺し合うことが常識とされていたと言う。
さて、伊勢国が信長に制圧されるまで小国内で闘いを続けてきた伊賀の66人の地侍は、にわかに結束して立ち上がることになった。
この頂点にたち、伊賀66人の手綱を握るのが、なんと、あの九字を切ってドロンと消えてしまうことで有名な百地三太夫なのだ。
この百地三太夫。にても焼いても食える爺ではない。
忍びに人の心などない、情けなんかは無用なのだ。親子の関係も兄弟も友人も、更には主従の関係すら無いのだ
それが忍者の世界。
義理も人情もない。殺戮、討伐、人を騙し、出し抜くことで自分が助かる、それを至上とするのが忍者の掟なのだ。
そこに君臨する百地三太夫とは、一体どんな爺なのだ。
この、百地三太夫が織田信長軍にどう立ち向かうのか。
どんな秘策が出てくるのか?
まともにぶつかり合ってはかなわないことを熟知している忍びたちの、腕によりをかけた前代未聞の祖国防術戦とは、一体どんな展開になるのであろうか?
この物語の面白さは、ここにあるのだ。
いわゆる、どんな手を使ってもいいから勝ってみろという世界なのだ。
登場人物は、前述4人と百地三太夫、織田信長、下山甲斐、下山平兵衛、無門、お国、そして石川五右衛門の文吾である。
それぞれのキャラクターの個性が突出して最高の面白さを提供している。
ここで、百地三太夫の秘蔵の忍者、無門。
無門は、「その腕絶人の域」と評され、この物語屈指のキャラである。
それこそど肝を抜く技で相手を煙に巻き、超絶技を駆使して縦横無尽に飛び廻る、忍者としても超一流の業師なのだ。
ところが物語の中では超怠け者、金にしか心を動かさないのかと思えば、西国から女をさらってきたりする。
その名を「お国」
彼もこのお国の前ではからきしだらしがない。
このことが、物語をぐんと面白くしているのだ。
予断を許さないこの男は、とにかく目を話すことが出来ない。
信長の前に厳重な警戒をかいくぐって造作もなく現れる。
これには信長も舌を巻く、と言うか心胆寒からしめるものがある。
信長にとってはなんとか味方に引き入れたい男なのだ。なぜなら、敵に回したらおちおち眠っていられないのだ。
「滅びたな、忍びの国も」
「いや、違う」
「斯様なことでこの者たちの息の根は止められぬ。虎狼の族(やから)は天下に散ったのだ」
この言葉は物語の後半になって、左京亮と大膳が交わした言葉である。
「虎狼の族(やから)」の血は、いずれ天下を覆い尽くすこととなるだろう。我らが子そして孫、更にその孫の何処かでその血は再び入ってくるに違いない」
自らの欲望のみに生き、他人の感情など歯牙にもかけぬ人でなしの血は、いずれ、この天下の隅々にまで浸透する。
と、日置大膳はつぶやいた。
和田竜作「忍びの国」は、新潮文庫から平成23年に刊行された物語である。
590円(税別)
2017年大野智が主演で映画化されている。